近江ゆかりの戦国武将ー中村一氏

中村 一氏(なかむら かずうじ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣政権の三中老の1人

誕生 1554年?(天文23年?) 生誕地 近江国 父 中村一政


中村一氏は、豊臣秀吉の家臣で、天正十一(一五八三)年に岸和田城主に任命されました。
その頃、紀州の根来寺は泉南地方に勢力を伸ばし、今の貝塚市あたりまでその勢力圏内にありました。

天正十二年三月、秀吉は徳川家康との合戦に尾張国へ出陣しますが、秀吉留守中の大坂を攻めるため根来寺の大軍が出陣してきました。しかし、岸和田城周辺で一氏軍と合戦となり(岸和田合戦)、一氏は少ない兵力ながら岸和田城を守りぬき、根来寺軍を退却させました。


翌天正十三年三月、秀吉は根来寺を攻撃するため岸和田城に入り、瞬く間に近木川沿いに林立していた根来寺の出城を落とし、根来寺を焼き討ち、根来寺の勢力が泉州から一掃されました。


その後、一氏は近江国水口城 (滋賀県甲賀市) 主、駿河国駿府城(静岡市)主となり、関が原合戦の直前に病没しました。


中村一氏









切符に印刷されている家紋は「立ち沢瀉 (たちおもだか)」紋です。


沢瀉は池や沢に自生する慈姑と同族の多年草である。
根のきわから伸びる矢尻状の葉が盛り上がっているので「面高」の名があるといい、あるいは「沢の潟れ」に生える草だから「沢瀉」と書くのだともいう。


古くは勝ち草とか将軍草などとも呼ばれ、縁起の良い草だった。
「おもだかや弓矢立てたる水の花」という句があるが、沢瀉が群生している状態を見ると、まるで弓矢を立て並べたように見える。


尚武の紋にふさわしい。武将が沢瀉威しの鎧を着用したり、沢瀉を戦勝の印しにしたのはそのためだ。








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