近江ゆかりの戦国武将ー石田三成

織田信長が本能寺で自害。翌年、石田三成は秀吉VS柴田勝家の「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」に参陣し一番槍を務めた。27歳で九州征伐、32歳で小田原攻めに従軍するなど、豊臣秀吉の天下統一事業を参謀としてサポートする。



石田三成は戦場で全くと言っていいほど武勲を挙げていない。それでも秀吉が側近として寵遇したのは、補給・輸送に腕を振るい(兵一人当たりの兵糧、弾薬を緻密に計算し輸送していた)、経済面での才能を高く評価していたからだった。



石田三成は後の太閤検地の実施でも成果を挙げており、秀吉は有能な実務者は豪胆な武将以上に得難いと、彼に感服していた。1591年、石田三成は近江北部に所領を与えられ、31歳で城を持った(佐和山城、19万石)。

家紋 家紋一覧 石田三成



秀吉の死後、石田三成は日に日に思うままに振る舞うようになった。徳川家康に対し、毛利輝元を総大将として関ヶ原で対戦しました。
 

その時、石田軍の陣には「大一大万大吉」と書かれた軍旗がひるがえりました。
この文言は、「一人が万民のために、万民は一人のために尽くすことで、天下は太平になる」
という意味があるとも言われています。
 
 

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「大一大万大吉」の家紋だが、切符に描かれている家紋とインターネット上に石田三成としてのグッズなどに記載されているか紋が少々違うように感じるのですが、詳しいことはわかりません。

記念切符として売り出される以上、家紋に対しての調査も抜かりないとは思いますが、。。一般的には右の方が石田三成としての家紋とされることが多いようですが。。。。両方の家紋が使われてはいますが、一般的には右のように思いますが。。。機会があれば詳しく調べてみたいと思います。

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「乗り鉄横見浩彦&鉄ドル木村裕子の鉄道トラベラーズ」近江鉄道・信楽高原鉄道・叡山電鉄の巻

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