戦国武将たちの家紋ー豐臣秀吉/羽柴秀吉

尾張国愛知郡中村の百姓として生まれ、織田信長に仕え、次第に頭角を表す。

信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、中国大返しにより京へと戻り、山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継の地位を得る。

その後、大坂城を築き関白・太政大臣に任ぜられた。豊臣姓を賜り、日本全国の大名を従え天下統一を成し遂げた。

太閤検地や刀狩などの政策を採るが、慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して没した。

墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。

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戦国武将・闇に消されたミステリー




●天下統一

北条氏を下し天下を統一する。秀吉は戦国の世を終わらせた。一方で臣従させた伊達氏のように、戦争を行っていない諸大名は軍事力を温存することができた。これらの有力諸大名の処遇が、秀吉政権の課題となった。

天正19年(1591年)に後継者に指名していた鶴松が病死した。そのため、甥・秀次を家督相続の養子として関白職を譲り、太閤(前関白の尊称)と呼ばれるようになる。

さらに茶人千利休に自害を命じた。利休の弟子の古田織部、細川忠興らの助命嘆願は受け入れられず、利休は切腹した。その首は一条戻橋に置かれ公開された。

同年には東北の南部氏一族、九戸政実が、後継者争いのもつれから反乱を起こした。
南部信直の救援依頼に、秀吉は豊臣秀次を総大将として蒲生氏郷・浅野長政・石田三成ら九戸討伐軍を派遣した。

東北諸大名もこれに加わり6万の軍となった。戦いの後に九戸政実・実親は降伏した。九戸氏は豊臣秀次に一族とともに斬首され滅亡し、乱は終結した。
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