戦国武将たちの家紋ー明智光秀

本能寺の織田信長を攻めて、3日天下といわれた明智光秀、
良くドラマに出てくる場面ですが、そのときの旗印が「桔梗」紋です。


天正10年(1582年)6月2日(西暦6月21日)早朝、羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられて出陣する途上、桂川を渡って京へ入る段階になって、光秀は「敵は本能寺にあり」と発言し、主君信長討伐の意を告げたといわれる。

本城惣右衛門覚書によれば、雑兵は信長討伐という目的を最後まで知らされなかったという。二手に分かれた光秀軍は信長が宿泊していた京都の本能寺を急襲して包囲した。

光秀軍1万3000人に対し、近習の100人足らずに守られていた信長は奮戦したが、やがて屋敷に火を放ち自害した。しかし、信長の死体は発見できなかった。その後、二条御所にいた信長の嫡男の織田信忠や京都所司代の村井貞勝らを討ち取った。
ウィキペディアーフリー百科事典より抜粋



家紋としている家の多さは10番以内に入る有名な紋で、明智光秀、坂本竜馬たちは秋の七草の一つである桔梗を家紋とした。

花は可憐でやさしく女性的な為、女紋の代表的なものの一つである。美濃、飛騨を中心とした中部地方から西に広がっている。


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戦国武将・闇に消されたミステリー
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