戦国武将たちの家紋ー前田慶次

天地人 前田慶次とは戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将で、前田利家の義理の甥。武勇に優れ、古今典籍にも通じた文武両道の将だったが、奇抜な振る舞いを好むカブキ者としても知られた。

前田慶次は幼名は宗兵衛。
信長の家臣滝川一族の庶子であったが、母が前田利久と結婚したことから前田家の養子となる。

当時は慶次郎利益と名乗った(利益・利太・利卓・利治などと名乗ったともいわれる。)
しかし義父利久は信長に進退を問われ、利家に家督を譲った。
慶次は浪々の身となりその後、利家に従って二度に渡る朝鮮出兵。
前田家を出奔してから京都などで「穀蔵院瓢戸斎」(こくぞういんひょっとさい)と称し、文人と交流。
文武にすぐれた直江兼続と親交、知遇を得て与力となる。その後上杉家と共に行動し最後は米沢で没する。

奇行好みの豪傑 前田慶次 は武勇にもすぐれを轟かせたという。
豊臣秀吉をして「天下御免の傾奇者(かぶきもの)」と
言わしめたことは有名


大ふへん者
前田慶次郎利太(としたか)こと前田慶次は慶長三年、直江兼続の知遇を得て上杉家に仕官一千石となる。
慶長五年に関ヶ原の戦いと時同じ頃、奥羽関ヶ原長谷堂城においても上杉・最上の戦があった。

出陣の折、慶次郎は旗指物に「大ふへん者」と大書きし現れたが、これを見た味方の上杉家臣が
大武辺者(武勇にすぐれた者)と理解し「武勇すぐれる上杉にあって思い上がりも甚だしい」ととがめた。
慶次郎は高笑いし「さても皆の衆は揃って田舎者なり。仮名濁点のつけかたも知らないと見える。我、
浪々身長く金に不自由したが故に大不便者と書いたものなり」と言い放ったといわれています。
前田慶次の遊び心が戦いの中にも見られます。

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梅鉢紋は加賀百万石の前田家の正紋として有名である。
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