家紋・家格


大坂夏の陣を最後に、戦乱はおさまり大平の徳川期になると、旗指物、幟、馬標などの必要もうすれ、家紋の用途は、もっぱら ”家格”を示し異議を正す礼儀的なものになってくる。

戦国乱世では戦陣の功名がものをいう。が、太平の世となれば ”家格門地”がこれに変わり、それを表示する家紋は、その上下を区別するという別の意味で、ますます重要性を帯びてきた。

徳川幕府の政治はまさに ”家紋”の格付けによってなされた、といっても過言ではない。

将軍と大名、大名と家臣の区別はいうまでもなく、大名同士、家臣同士の間にも厳然として家格門地の違いによる差別があった。

その識別が家紋でなされた。江戸城でも控室が違う。

大手門には下座見役がいて、登城してくる大名の紋所を確かめ、それによって、「どこそこの殿様ご登城」といち早く場内に知らせた。

参勤交代で江戸へ上がるとき、道中で他の大名と出会うことがある。

相手の家紋や槍印を見て、礼儀作法を考えなければ大変。家格の低い方が行列を止め、殿様は戸を開いて会釈する。

このため先払には、諸大名の家紋に精通して者を選んでいた。

そのチャンピオンが ”三葉葵”の紋所、一目見ただけで土下座となる。これは水戸黄門でお馴染みのシーンである。

家の定紋は、幕府に届出の正式の紋。やたらに放棄することはできなかった。大名、旗本も定紋によってランクが決まり、序列ができた。

この伝統と家系の名誉は、実際に命より大切であったに違いない。

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