蒙古襲来絵詞の紋

蒙古襲来絵詞の紋 

鎌倉時代の文永十一年(1274)と弘安四年(1281)の二回にわたって蒙古は日本に襲来してきた。

それを迎え撃った九州の諸将の中に肥後(熊本県)の竹崎の住人で竹崎季長という御家人がいて、二度の蒙古軍との戦闘での自分の活躍ぶりを絵師に描かせた。

それが「蒙古襲来絵詞(もうこしゅらいえことば)」上下二巻である。

季長がわざわざこれを描かせたのは、鎌倉幕府に自分の戦功を認めさせ、恩賞にあずかるためだったのだか、当時の武具や武士の風俗、蒙古船の構造や「鉄砲」を放つ蒙古兵の戦闘ぶりなどが活写されていて、貴重な史料になっている。

興味深いのは、このとき、参陣した九州の諸将である鎮西奉行の太宰少弐景資の旗紋は「四つ目結」である。

竹崎季長の旗紋は同じく四つ目結の目を一つ除いて吉の字をいれた「三つ目結に吉の字」になっている。

菊池武房の「二枚並び鷹の羽」は阿蘇神社の神紋を拝領したものだ。
絵詞は敵の生首を太刀や長刀の先に刺して引き揚げる武房隊の雄姿を描く。季長が敵中で苦戦に陥ったところへ救援にかけつけた白石通秦の旗紋は「軍配内輪の中に松竹鶴亀」とややこしい。

大矢野種保と草野経永は同じ「丸に桐」である。
あるいは同族なのか。

島津久経の「鶴の丸に十字」は鶴も十文字も筆書きの素朴な文様だ。
十文字のほうは島津氏が江戸の大名になってからの代表紋になったが、鶴丸はきえている。

その他、城次朗の「連銭(れんせん)」や井芹高秀の「二株の菖蒲の中に井一字」なども見える。
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