日の丸を紋章にした武将


幕末まで、日本には国旗、つまり日本を代表する紋章がなかった。
諸大名にとってはそれぞれの藩が「国」であり、日本国の一部という意識がなかった。

したがって日本の「印」なども不要だったのである。
そうした時「日の丸」を日本の総船印しようと提案し、実現させたのは薩摩藩主島津斉彬(なりあき)だった。

古くから人々が自国を、「日出づる国」とか「日の本」などと称していた日本の国旗として、「日の丸」ほどふさわしい紋章は他にないだろう。

明治三年一月」に「日の丸」は正式に日本国旗として制定されている。
「日の丸」は日数である。
太陽をシンボライズしているのだから、太陽信仰から起った紋章であることは勿論だ。

鎌倉以来、多くの武将が「日の丸」の文様を愛用している。
源義朝や義経は日輪を描いた扇を使っているし、「源平盛衰記」には那須与一が屋島の合戦で射落とした扇にも「日の丸」があったと記されている。

甲府武田氏には伝来の二つの重宝「御旗(みはた)、楯無(たてなし)」があるが、御旗というのは始祖新羅三郎義光から相伝されてきたという日章旗で、山梨県の雲峰寺にいまも保存されている。

楯無とは楯も要らないほど堅固な鎧のことで、こちらは菅田天神所蔵の鎧(よろい)がそうであろうとされている。

武田信玄がこの旗をひるがえして戦ったという川中島の合戦では、相手方の上杉謙信も「日の丸」の軍旗を用いている。

賎ヶ岳(しずがたけ)七本槍の一人である加藤嘉明も紋章として「日の丸」を愛用し、慶長五年(1600)に行われた天下分け目の関ヶ原の合戦の図には、西軍の小西行長の陣に「日の丸」の紋章が描かれている。
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