西郷隆盛の「南州菊」

西郷隆盛を出した薩摩の西郷家は九州の名族菊池氏の後裔で、かっては菊池氏を守護する三支族の一家だったという。

そこで家紋も菊池氏にゆかりのある菊の葉を用いている。

三つ葉が外向きに配されている紋形なので「三つ葉菊」だが、鹿児島では「西郷菊」「南州菊」と呼んでいる。

隆盛を祭る南州神社の社殿の幕にもこの紋がつけられている。
西郷家にはこれとは別に「抱き菊」といって、二枚の葉が十六の花弁を抱いた紋形のものもある。

これは明治天皇が維新の大業をなしとげた隆盛の功を賞して下賜されたもので、天皇は「中央の華は朕であり、抱き二葉はすなわち汝である。

朕を両脇から支えて天下鎮定のために尽くせよ」との有り難いお言葉を賜ったという。

菊紋はいうまでもなく天皇家専用の紋章であるが、そうなったのは鎌倉時代の初めに後鳥羽天皇がこの文様をことのほか愛好され、衣服、調度品、御剣、御車の末まで菊模様をつけられてからだ。

そうなるといままで菊紋を使用していた廷臣たちも、しだいに遠慮して使用をやめざるをえなくなる。

そして菊紋は自然に天皇家専用になっていったのである。
天皇が武家にこの菊紋を下賜するのは、後醍醐天皇が足利尊氏に「菊紋」を楠木正成に「菊水紋」を下賜されたのが最初だ。

以来、織田信長、豊臣秀吉などの天下人に下賜された。
もっとも、徳川家康だけは辞退しているが、維新後の明治四年に政府は「菊紋は皇族以外は使用一切まかりならぬ」とう布告を出している。

その高貴な菊紋を頂戴したのだから、隆盛が感涙にむせんだことはいうまでもない。
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