赤穂浪士と家紋


家紋の発生は、いまから約900年ほど前の平安時代後期ころにさかのぼれるようだ。
公家の西園寺家の紋は「巴」だが、実季のときに牛車の紋様として定めたことが古記録に残っている。

その牛車の紋様が、所持品、家財道具、その他にも多用されるようになった。
やがて、このしきたりが貴族の間に広まりだし、家紋となっていったという。

この印は、鎌倉時代になると武士の間にもっと実用的な意味で用いられた。
戦場にあっては敵味方を識別することは急務である。
それで武士はこぞってのぼりや旗に家の印を付け、その存在を明かにさせた。
これを「旗紋」という。

敵味方にも遠くから見分けがつく実用的な印が多かった。
島津氏の「十字」。
足利氏の「二つ引両」など。。。。




何気なく見ていた一昨年の正月番組の大型時代劇「瑤泉院」(赤穂浪士)?(正式な題名忘れました。)
大石内蔵助は討ち入りの陣太鼓にも出てくる「右二つ巴」。
堀部安兵衛は「四つ目結びニつ」 

数日経ったとき妙に他の義士の家紋なども気になり一度調べてみようと思い出来たのがこのページです。
sn_itmfv_l at 15:19│clip!戦国時代 | 武将